雨、雨ふれふれ~♪
未分類 by Fumiyo on 2008-05-25(日)07:05
未分類 by Fumiyo on 2008-05-24(土)07:05
引き出しの中からこの一枚の写真が出てきました。
もちろん分娩台の写真ではありません(笑)
私が、22歳のときにベイル(アメリカ)で大怪我をして、手術したときの
術後すぐの写真です。
一度で手術も終わらず、2度目の手術が終わって両足に
このように装具をつけていました。
こんな状態でも、アメリカは2泊3日の入院。
退院後、リハビリーに通うため、コンドミニアムにしばらく滞在していました。
そのとき、退院して一週間くらいで、もちろんまだ松葉杖でやっと歩いていた頃、
一度座ると、一人で杖を使って歩きだすのに10分以上かかりながら、なんとか一人で
生活していました。
ある朝ベットで寝ていると、いきなり火災報知器がなり、廊下でもザワザワしている気配。
私は一瞬、頭の中で「火事=焼け死ぬ」と思い、何も考えずドアのところまで
走っていったんです。
ドアを開けると、ホテルの人が「大丈夫、大丈夫」と言っているので、私も「あ~良かった」と
ドアを閉めたそのとき、脚を見ると「あれ?なんだ?」と思った瞬間
床にヘタヘタと倒れてしまいました。
本当は杖なしでどう考えたって歩けないのに、「杖なしで走った!」
でもまだそのときも脚は震えてるんですけど、とにかく自分でもびっくり!
火事場のなんだかって本当なんだなあと、そのとき人生で初めて思いました。
おそらく、本当に火事だったら、私は外まで走って逃げていたでしょう。
人間の身体って以外に丈夫なものなんだなあと思いましたが、その後は
平常心ではなんぼ頑張っても杖なしで歩くなんて想像もできなかったですけどね・・・
日本で手術していれば、間違いなく3ヶ月以上は入院生活になるところを
保険のシステムの関係でなるべく入院しなくていい手術方法とはいえ
アメリカはやっぱり大胆というか、大ざっぱというか、リハビリーの方も結構辛かったです。
術後次の日から歩くのですが、痛みを抑えるのに麻酔を入れながらやるので
麻酔で気持ち悪くなって、嘔吐しながらもリハビリーは続けさせられるんです。
泣いてしまった私は、先生に怒られ、言葉を上手に表現できないことにも
ストレスたまりまくりのリハビリー生活でした。
この写真をみると今でもその記憶が鮮明に思い出されます。
でも海外でそんな経験できたことは、貴重なことだったと
今は思えるので、とても良い経験でしたけどね。
でも、私の膝はもうボロボロだと思うので将来は
人工関節なんてなるのでしょうか???
未分類 by Fumiyo on 2008-05-22(木)02:05
音痴にも色々なオンチがありますが、私はびっくりするような
方向オンチなんです。
高校時代に、初めて登校する日、道に迷うといけないと
自転車だったのでかなり早く家を出ました。あまりにも早かったので
他に同じ高校の生徒は登校していなく、かなり学校の近くまできていながら
やっぱり迷ってしまい、コンビニで「札幌第一高校どこにありますか?」
と尋ねると、店員にすごくびっくりされたのを今でも覚えています。
コンビニが学校のすぐ近くだったことと、私が制服を着ていたので
たぶんそんなセリフ想像もしていなかったのだろうと思います。
スキーシーズンが終わってすぐ入学式だったので、学校の下見にも行けなかった
ことは言い訳ですが、いつも、だいたいで走ってしまうからダメなんですね。
車の運転もこれまた大変で、初めて自分の運転で札幌から旭川の実家に帰る時も、
前の車が旭川ナンバーだったので、これについて行けば間違いない!なんて勝手に
思い込み走っていくと、前の車がいきなり狭い道に入って民家に停まってしまったんです。
しかもそこは行き止まり。もちろん私も行き止まり。
その車の運転手に不審な顔で見られてしまいました。
アメリカのオレゴン州でも、ポートランドというところに買い物に一人運転していった
のはいいのですが、帰りにハイウェイに乗ったり降りたり、1時間くらい同じところを
ぐるぐるまわっていたときには泣きそうになりましたね。
そしてやっと正しい道に入り、ハイウェイを降りて走っていたら、反対車線を
ボーっと運転していました。「向かえからなんで車がくるのかな?」と考えていて
「あー大変!」と気づいて良かったです。
迷うのは車だけでもなく、スキー場でも八方など大きなスキー場ではよく迷いました。
一人でホテルに戻ろうとしたのですが、降りた斜面を間違え、しかもそこは一面コブ斜面。
私は重いスキーを担ぎ、ヘトヘトになりながら降りた記憶もあります。
今は車にもナビがあるので、なんとかなりますが、それでも東京なんかは
ナビでも走れないでしょう。
私の車の免許は北海道限定です・・・
ちなみに昨日のドームでも迷い目的のところに着くまでドームの中を
一周してました。トホホ・・・
未分類 by Fumiyo on 2008-05-19(月)07:05
高校時代から同じ学校でスキー部の彼女は
4月から日本に帰ってきました。
16年間の海外生活(オーストリー)してきた彼女は
もちろんドイツ語も話せて、子供も2人いますが
下の子は海外で出産しました。
今日久しぶりに会ったのですが、話が終わらず6時間も
お邪魔してしまいました。
彼女と一緒にいると、高校生の頃と気分だけは変わらないのですが
外野席が騒がしく、話はゆっくりできません。
かなり子供たちを無視して強引に会話をしているので
気づくと、すごい大きな声でしゃべっていたりします・・・
私たちの年代の友達は、小さい子供が多い年頃でもありますが
日々、子育てで振り回されてると「あっ」という間に一日が過ぎてしまいます。
彼女とも出会って20年近くになろうとしていることを、話の中で
再確認したときは、二人とも絶句でした。
あ~ 今度気づいたときは、50歳くらいだったりするのかな・・・・
こわいわ~